僕の息子が所属していた硬式野球のリーグでは、
試合の第一球目を迎えるときに、指導者やベンチの控え選手もスタンドの保護者も全員が起立して、脱帽して一球目を見届けるという慣習がありました。
初めてその光景を見たときは、「すごいな」「礼儀正しいな」と感じたと同時に、
正直「なんで?」「必要あるのかな?」と思いました。
ソフトボールや軟式野球、高校野球では見たことがなかった
一方で、息子がソフトボールをしていたときには、そのような慣習はありませんでした。
また、僕が中学での軟式野球と高校野球ではそういったことはありませんでした。
今の高校野球でも「一球目で全員起立、脱帽」ということはしていないそうです。
そのリーグは「高校野球のルールにのっとっている」と聞いたことがありますが、
もしそうであれば、**一球目に立つという形式は、必ずしも必要ではないのでは?**と思うようになりました。
「立たなきゃいけない」という意識よりも大切なこと
形式として「立たなければならない」という意識よりも、
僕は、その一球に、チーム全体・観客全体でプレーに集中することのほうが大切だと思っています。
他の保護者からも「独特だよね」という声が
実際に僕だけでなく、周りの保護者の中にも、
「このリーグは独特の慣習が多いよね」
「一球目に立つのは、正直いらないと思う」
といった声がちらほら聞こえてきました。
もちろん、全員がそう感じているわけではありません。
でも、同じように違和感を持っている人がいるということは、
一度、本当に必要なのか検討する余地があるのではと思います。
礼儀やスポーツマンシップの考えは素晴らしい
もちろん、この慣習にも良い面はあります。
おそらくその背景には、
- 相手チームへの敬意
- スポーツマンシップにのっとった姿勢
といった礼儀や思いやりの気持ちがあると思います。
それ自体はとても素晴らしいことですし、
子どもたちがそうした精神を学ぶことも、スポーツの大切な意義のひとつです。
それでも僕は「立たなくてもいい」と思う
ただ、僕の個人的な考えとしては、
「一球目に立つ」という形式は必ずしも必要ではないと思っています。
試合開始前の両チーム整列でお互いのチームと審判に対して挨拶を済ませています。
その際、両チームのスタンドにいる保護者も起立して脱帽して礼をしています。
なので、一度挨拶をしているので試合開始の一球目は起立、脱帽は必要ないと思います。
球場全体が1球目に集中できる雰囲気があれば、それで十分ではないでしょうか?
時代とともに変わっていってもいいのでは?
野球には多くの伝統や慣習がありそれぞれに意味があると思います。
でも、時代が変われば、礼儀や形式の形も少しずつ変わっていくものだと思います。
「立たなきゃ」という意識よりも、「一球に集中する」という意識のほうが大切だと思います。
この意識こそが必要ではないでしょうか?
まとめ
- 一球目に全員で立つのは、礼儀やスポーツマンシップを重んじた行動。
- ただし、「立つこと」が目的化してしまうと本質が薄れる。
- 実際に「いらない」と感じる保護者の声もある。
- 本当に大切なのは、一球目に集中すること。
この慣習をなくそうとか変えようという意図はありません。ただ、『不要に感じている人もいる』という現実を共有したいと思い、この記事を書きました。
【筆者プロフィール】
ナイスバッチ
プレーヤー・保護者・指導経験を活かし、柔道整復師・鍼灸師の視点から野球の疑問や改善点を発信。未来の野球を考えるナイスバッチです。


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